「好みを語る」ということ 

いわゆるカフェのメニューの中で、私の好みは以下のようになる。

 アイスカフェモカ
  > アイスコーヒー
   > ホットカフェラテ
    > アイスカフェラテ
     > ホットカフェモカ
      > ホットコーヒー




この順序は理屈じゃない。全てを飲んだ結果として、まずはこの順序付けという「事実」がある。
つまり、「好みを語る」ということは、この「事実」がまず在って、そこから法則性や要因を探していくことになる。間違っても、理屈が先に在ってそれから好みが導かれているわけではない

上記の例を見れば、アイスであれば何でもよいわけでもなく、ミルク分やチョコレート分も同様。更に、私はコーヒーに砂糖を入れない。

おそらく、私にはこの好みを決めた何らかの要因が在るのだと思う。上記の順序を縦横斜めのいずれかの角度から見れば一軸上に並ぶのだろう。
しかし、それがなかなか見付からない。あるいは言葉にできない。「私の好み」を示す日本語が見当たらないのだ。

だけど、たまに、ふとした拍子に「これだ!」という要因に気付くことがある。自分の感覚にぴったり当てはまる言い回しを発見する時がある。
この瞬間が何より嬉しい。だからこそ、私はこうして文章を書き留めているのだと思う。

ディスコミュニケーション 

真面目で真剣な話、力を入れて「主張」をしている時に、たまにこんなことを返す人がいる。

 「私の意見はAさんと同じです」


正直言って、こういうのが一番困る(それを顔に出すかはまた別の話だが)
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畏れ多くも絵画論 

国立新美術館とサントリー美術館で開催していた「ピカソ展」を見て思った点を少々。

私の絵画についての見識は決して深くなく、私の感じたことが美学上において当たり前のことなのか、それとも全く異端である考えなのか、それすらも判別できないことを承知の上で。
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「下克上」の権利はあるか 

もうすぐ、ポーランド・ポズナンで国連気候変動枠組条約締約国会議(COP14)が開催される。
これは、ポスト京都議定書(2013年以降)の地球温暖化問題に対する世界各国の取り組みの枠組みを構築するための会議だ。昨今の金融危機の勃発や米国新政権が発足していないことなどから、枠組みの最終的な確定はCOP15(2009年末・コペンハーゲン)にまで持ち越されることが確実だが、少なくとも、地球温暖化問題をめぐる今年最大の会合となることは間違いない。

気候変動枠組条約(参考:Wikipedia)は、1992年の地球サミットにて採択され、その後1994年に発行した条約である。
187カ国+EUという締結国数は、環境問題に限らず、人類史上で最も多くの国家が締結した条約だと言われている。

しかし、この条約の基本的な対立点は、成立から15年を経た今になってもさほど大きな変化を見せていない。
それは、「共通かつ差異ある責任」(Common but Differenciated Responsibility)という文言の解釈である。
逆に言えば、ここに「解釈の余地」があるからこそ、あれだけの数の国が締結したのだと思う。そこの議論を後回しにしたツケが、今になって出てきている感がある。

これは既に地球環境問題の次元を超えた、「先進国と発展途上国」の関係の問題となっている。つまり、「発展途上国はいつまで発展途上国なのか」ということ。
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貴方のアイデンティティは何か 

以下、本来ならば細かな言葉の定義を厳密に確定した上で行う必要があるのは承知の上で、国籍法改正に係る種々の議論に関する私的覚書。


この前読んだ本にて「そうだよね~」と思ったことがある。

それは、「日本人」であるための要素として、私達はあまり意識していないものの、以下の3つが必要とみなされているという点。
 ①日本国籍を有すること
 ②いわゆる大和民族であること
 ③日本語を話すこと

これらを、ここでは以下の3つの要件として整理したい。
 ①国籍要件
 ②血統的要件
 ③言語・文化的要件

③に「文化」を含めた点には異論があるかもしれないが、詳細は後述。

そして、世界では、これらが「三位一体」であるかのように認識されている人種は決して多くない。
また、よく考えてみると、「日本人」のイメージを持つ人であっても、この3要件を満たさない人が居ることに気付く。例えば、先にノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎氏は既に米国籍を得ている。先のWBC日本代表監督や、今のサッカー日本代表CBは親や自らのルーツを海外に有する。日本国内に朝鮮語を用いるコミュニティがあることも事実だ。

特に、「①国籍要件を満たす者」と「これら3つの要件を全て満たす者」が共に「日本人」という同じ言葉でしか表現できないという点は注目に値する。なんで「それ」を指し示す言葉がないかというと、この国では両者を区別する必要がなかったからに他ならない。

(以下、続く)
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「歴史」と「現在」の境目 

私の世界観というか、歴史観や民族観に最も影響を与えた事件は何かというと…ユーゴスラビア紛争かもしれない。(参照:Wikipedia


私の記憶にある最も古いオリンピックは、夏季がロサンゼルスで、冬季がサラエボだ。それ以前は自分の目で見たわけではなく「歴史」でしかないが、ロサンゼルス・サラエボ以降はまさに私にとっての「現在」なのだ。

サラエボは現在、ユーゴが分割してできたボスニア・ヘルツェゴビアの首都となっている。しかしこの国が成立するまでに激しい戦闘が行われ、サラエボのオリンピックスタジアムはユーゴ紛争の死者を弔う墓地になったという。

スポーツの祭典であるオリンピックは、同時に近代化というか人類の進展の象徴というイメージがある。ロス五輪でも政治的な動きがなかったわけではないが、世界各国からアスリートが参加する、人類の調和の象徴にもなっている。
しかし、まさかそれから10年も経たずに、それまで同じ国に属していたクロアチア人、セルビア人、ボシュニャク人達が殺し合い、虐殺とレイプを繰り返すことになるとは、誰が予想しただろうか。


1991年、ユーゴスラビア連邦の西端に位置するスロベニアが僅かな損害で独立を達成すると、連邦のパワーバランスが一気に崩れる。
スロベニア人の離脱で過半数を獲得するに至ったセルビア人はセルビア中心主義に基づく連邦維持を志向し、スロベニアに隣接するクロアチアは独立を求めて立ち上がった。第二次大戦中も独立を求めてナチス・ドイツに協力を惜しまなかったクロアチアの民族主義は一気に高まり、戦闘は激化。なにせ90年代の話であるから、テレビCMを用いたプロパガンダすら行われた(参照:YouTube)。
その後、戦闘はクロアチアとセルビアに挟まれたボスニア・ヘルツェゴビナで最も激化する。ムスリムであるボシュニャク人が最多数を占めつつも過半数の獲得に至らなかったこの国では、旧ユーゴの中核であったセルビアに、領土拡張を狙ったクロアチアも交え、凄惨な事態を招くことになった。孤立したスレブレニツァの悲劇(参照:Wikipedia)は、たった10年ちょっと前に文明国で起こった正真正銘のジェノサイドである。

この紛争については、オランダのハーグに国際戦犯法廷が設置された(この場で裁かれる「戦争犯罪」は、ジュネーブ条約やハーグ陸戦条約違反の他には、ジェノサイドや人道に反する罪といったものに限られ、単純な戦闘行為で裁かれるものではない)
その被告人は非常に多岐にわたる。セルビアのミロシェビッチ大統領が逮捕され拘置所で死亡したことは有名だ。また、スルプスカ共和国(セルビア人を中心とする、現在もボスニア・ヘルツェゴビナの連邦構成国の一つ)の元大統領や軍司令官も起訴されている。また、クロアチアの軍人も同時に起訴されており、クロアチア国内では建国の父とみなされているトゥジマン大統領についても病死するまで起訴が検討されていたという。更には、規模の差や状況の違いはあれ、こうした行為をボシュニャク人の側も行ったと言われている。

繰り返すが、こんなことがついこの間起きたのである。オリンピックを開催するような国が、豊かさと教育水準を武器とプロパガンダに変えて戦ったのである。しかも、ソ連が崩壊して東欧革命の嵐が吹き荒れた後に…むしろ複数政党選挙の復活を一つの契機として、つまり民主的手段によって選ばれた大統領や軍司令官らが中心となって、あれほど凄惨な殺し合いを引き起こしたのである。

これに比べれば、湾岸戦争や9.11なんぞ、子供の喧嘩のようなものに思える。


例えばサッカーを見ていると、クロアチア人やセルビア人のプレイヤーは、そこら中に沢山いるのである。同じチームでプレーしていることもある。
また、オシム前日本代表監督が、崩壊前のユーゴ代表を90年W杯で率いたサラエボ出身のクロアチア人という、このユーゴスラビアという連邦国家をまさに象徴するかのような人であったことはよく知られている。

この戦争の当事者となった人達が普通に目の前に居るというのはなんとも言えない感じがする。彼らは、あの紛争を直に経験しているわけで、ちょっと展開が変わっていたら、殺されたり殺したりしていたということなのかと。
オシム氏なんかは、私達の目から見ても好感の持てる好々爺である。でも、そうであるからこそ、「戦争」とか「虐殺」というものを「歴史」の1ページでしかないと思っていたところのある私にとって、それが「現実」にごく近いところにあったということを思い知らされたのである。
これを目の当たりにして、私は「民族」というものを好意的に捉えられなくなった。

『ピースメーカー』 

たまたまBSで放送してたので。
とはいえ、私がこれを見るのはもう3・4回目くらいになる。
1997年の映画なので、思えばもう10年以上前なのか…。

この映画で何がいいかというと、主役を務めるニコール・キッドマンにある。彼女がめっちゃキュート
どちらかと言えば悪女系の役が多くゴツいイメージの強い女優さんだけど、30歳になる前に撮ったこの作品はむしろ若さが滲み出てる。
その年代で核テロリスト対策の責任者を任されることは逆にあり得ないとも言えるけど、デヴォー中佐(ジョージ・クルーニー)らベテラン達に翻弄される姿がまたキッドマンのキュートさを引き立てているとも言える(笑)。

トム・クルーズが惚れたのも判るわ。

ピースメーカーピースメーカー
(2008/10/17)
ジョージ・クルーニー
ニコール・キッドマン

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『日本語が亡びるとき ―英語の世紀の中で』(水村美苗) 

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で日本語が亡びるとき
―英語の世紀の中で

(2008/11/05)
水村 美苗

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曲がりなりにもこうした場で創作物の感想とかを書いている身として、常日頃日本語を母語とする中で英語を話すことの価値に疑問を感じていたこともあり、面白かった。全体の70%くらいは考え方が近い。

以下、この本を読んで私なりに感じたことについて。
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貴方のプライドはお幾らですか? 

面白いことになってきた。

批判かわす狙い、混乱拍車も=給付金で「辞退方式」-麻生首相

 定額給付金の支給対象から高額所得者を除くことをめぐり政府・与党内から賛否両論が噴出する中、麻生太郎首相は10日、本人の申告など制度としては所得制限を設けず、自発的な辞退を求めるのが望ましいとの考えを示した。早期に決着させ、自身に対する指導力不足の批判をかわす狙いがありそうだが、混乱に拍車が掛かる可能性もある。
 「市町村にとっては、(事務手続きが)簡単な方がいいと考えるのは当然だ」。首相は10日夜、支給の窓口となる自治体の意向を踏まえ、高額所得者に辞退してもらう方式が望ましいとの考えを強調した。
 総額2兆円規模の給付金は、生活者支援を主張する公明党の要求を、景気対策の側面も考慮して政府・自民党が受け入れ、先月30日の追加対策で具体化された。首相は対策発表時の記者会見で「全世帯に実施」と明言したが、与謝野馨経済財政担当相が所得制限を設けるよう発言。野党から「究極のバラマキ」と批判されると、「豊かなところに出す必要はない」と前言を翻した。しかし、一定の所得で線引きし、自己申告を求めるとなると、法改正が必要とされ、支給が遅くなる。事務量が増大する自治体の反対も根強い。結局、首相としては、バラマキ批判をある程度かわしつつ、今年度内支給を主張する公明党の意向も考慮し、「辞退方式」を採用したようだ。
 自民党の尾辻秀久参院議員会長は10日の記者会見で「最終判断の時期と首相は考えたのだろう」と指摘。公明党幹部は「閣内不一致と野党に攻められる」として、首相の判断を支持した。
 一方、民主党は早速「現実の政治、行政を知らない」(小沢一郎代表)、「いいかげんなやり方だ」(山岡賢次国対委員長)と首相を批判した。政府が2008年度第二次補正予算案を今国会に提出すれば、厳しく対決していく方針だ。
 (時事通信ウェブサイトから引用)

実は私は、この話が出る前に、例え給付金が貰えることになっても、受け取りにはいかないかなあ…と考えていた。
何よりの理由は取りに行くのが面倒くさいからだけど(笑)、特段お金に困っていない私が国から受け取る必要もないよなあ…と思う部分があったことも事実。

この国の民主党は単なるネガキャン政党なので、相変わらず政府方針に反対し続けているわけだが、本当に国民に良識があるのならば、心配する必要はないはず。こんな「とんでもない制度」に同調する人などいるわけもなく、政府が自主的な辞退を求める以前に給付窓口は閑古鳥が鳴く…はずなのだ、本当なら。
この給付金制度に反対する意見は多い。でも私は、貰えることになったらその人達も我先にと貰いに行くんだろうなあ…と思っていた次第で。

しかし、それを総理が自ら口にした。となると、図らずもこれは国民それぞれが自らの行動を試されることになったのではないか。
1万2000円か2万円、このお金を貰いに窓口へ向かうのか。貰うということは自分が「豊かな」市民でないと認めることになるのではないか。そして、この自民党の政策を認めることになるのではないか。
これは、その人のプライドを問われているのでは。

もしこれが実現して、受給率はどれくらいになるんだろう?
おそらくは、この政策への賛同率や内閣支持率を上回るような気がする。その時、政治家は国民を嗤ってやるべきだ。

人を何で「差別」すべきか 

アメリカ次期大統領に黒人のバラク・オバマ氏が決定した。

今回の大統領選挙はもともと「アンチ・ブッシュ」色が強く民主党に追い風が吹いていたこと、その民主党の指名選挙の相手がヒラリー・クリントン氏で彼女も同じく米国初の女性大統領という高いハードルを抱えていたこと、イラク等の国際問題に強みを見せていた共和党マケイン氏に対し金融危機という思わぬ逆風が吹いたことなど、消去法的に「黒人」であることに対する有権者の意識が消失したようなところがあったように思う。

私は肌の色なんぞ人の価値とは関係ないと思う人間(のつもり)だ。そんなものはくだらない。
私も他人を見る時に(口には出さないまでも)優劣を付けるけど、その基準が肌の色ってことはない。その人の価値なんぞ、主にその人が何を考えているかで決まるものだ。それが一番大事だし、それがある限りは人間である必要すらない。人工頭脳でも宇宙人でも、それに見合うものであれば、当然ながら受け入れるつもり…まあ今のところ、現実的ではないけれど。

「性別」の場合、文化的にも生物学的に男性と女性で考え方の傾向は若干異なるから、それによる影響が全くないとは言い難い。ただしそれは「傾向」の話でしかなくて、絶対的なものではないだろう。
それはその人が帰属する「文化」についても似たようなことが言える。だけど「肌の色」は、アメリカという文化圏の中で生きる人であれば、何も変わらないと思うのだが。

今回の選挙で、もし黒人層が自分と同じ肌の色というだけでオバマ氏に投票したのだとしたら、それはくだらないことだと思う。そして、これからオバマ氏が同じ理由で黒人層に何か特別な政策を取るのであれば、同じくらいくだらないことだと思う。


さて、今年、もう一人の「黒人初」が誕生した。F1のワールドチャンピオン、ルイス・ハミルトンである。

実はこの人、今年になって、いわゆるF1ファン層の人気を猛烈に失っている。昨年はルーキーということで優等生的発言が目立ったが、マクラーレンの絶対的なエースとなった今年はかなり思い切った発言もあり、他のドライバーを初めとして総スカンの状況にある。
それでも一つ思うのは、この人に対する批判に、レイシズム的な雰囲気を感じないところだ。前述の不遜な態度でけっこうボロクソに叩かれてはいるものの、彼に対する批判は彼自身の在り方に対するものであって、それ以外の要素に拠るものではない。言わば、批判されるべき理由があって叩かれているわけだ。これはある意味当然であり、健全であるとも言えるはず。

ハミルトンが最終戦でチャンピオンを獲得して、私はそれが「史上最年少」であることを言われて改めて思い出したわけだが(彼の走りの老獪さからすっかり忘れていた)、「黒人初」というのは更にその後だった。
肌の色という瑣末なことを意識させないくらいの強烈な何かがハミルトンには在り、それにゆえに評価され、同時に叩かれる。これくらいの存在感のある人というのは、良くも悪くも、貴重な存在なのだと思う。

『ヒャッコ画集 ~カトウハルアキWORKS~』 

ぶっちゃけコストパフォーマンスは良くない。単行本とWebでこの作品を見ている人にとって、追加要素が少ない点は若干の期待外れ。
だけどまあ、私はやっぱりこの作品が「好き」みたいなので、そんなに不満はない。

読んでいて気付いたのは、この作品は純然たる「キャラクター」が中心のマンガなんだなあ、と。
描きたいのはキャラクターそのものだから、過度に展開で物語をかき回すことをしない。制作側から特定の人物を中心に据えるということすらしない。制作者自身がほとんど全てのキャラクターに愛着を感じているわけだから。

その分、この作品をどうやって締めるんだろう?とはずっと思っているのだが。

ヒャッコ画集~カトウハルアキWORKS~ヒャッコ画集~カトウハルアキWORKS~
(2008/11/01)
カトウ ハルアキ

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【F1】ブラジルGP決勝 「気紛れな神様と」 

気紛れな雨は、このレースを引っ掻き回してくれた。結果的には、10分間のスタートディレイがとんでもないドラマをもたらしたわけだ。

序盤は、「雨将軍」ベッテルとアロンソが勢いを盛り返したことにより、ハミルトンは順位を下げ苦戦。しかし逆にマッサも彼らからプレッシャーを受けることに。
そして、最後の最後に「まさか」が待っていた。


このレース前に、アロンソが(冗談交じりだと思うが)マッサのサポートをすると公言し、ハミルトンは(コバライネンを除いて)ほぼ孤立無援の様相を呈していた。
だけど、最もハミルトンに対し直接的な敵対行動を取ったのは、アロンソでもライコネンでもなく、クビサだった。

クビサは中盤、周回遅れにもかかわらずピッタリと真後ろに付いてプレッシャーをかけ続けた。そして終盤になって雨が再び降り出すと、なんと果敢にベッテルごとハミルトンをオーバーテイク!一時はハミルトンとベッテルとのギャップがやや開き万事休すかと思われたが、突如後方から現れたクビサに驚いたハミルトンがラインを外し、その隙を突いたベッテルに先行されてしまった。
このクビサの果敢なチャレンジ(?)は実を結ぶかと思われたが、最後の最後、ドライタイヤでペースを保てなかったグロックが最終コーナーでハミルトンにパスされて、今シーズンは劇的な結末を迎えた。


私は、今シーズンは「これ」で良かったと思ってる。
何より、もしハミルトンが6位だった場合、日本GPのブルデーへのペナルティが勝敗を分けたことになる。あの裁定は政治的・興行的過ぎるきらいがあったので、その分私はこの形でのマッサの勝利を望んでいなかった。

マッサも悪くはなかったけど、今シーズンで最もチャンピオンに相応しかったのはハミルトンではなかったか。
カナダGPの追突で2レースを失ったのと、日本GPも酷かったが、それ以外は凡そ素晴らしかったと思う(性悪な部分も含めて)。コンストラクターズタイトルの通り、マシン自体はフェラーリの方が良いくらいだったと思うし。


さて…これで、来シーズンは(コバライネンを除く)全てのドライバーがハミルトンを倒すべく戦いを挑んでくることになる。
今シーズン終盤のハミルトン包囲網は、更に明確な形で現れることになるだろう。フェラーリ勢はもちろん、アロンソもそうだし、このレースを見る限りクビサだって簡単には勝たせてくれないはず。
おそらくは現役ドライバーの中でも最も「速さ」と「強さ」と「したたかさ」を兼ね備えたこのクソ生意気な若造(笑)が、少なくともマシン戦闘力以外の要素で(おそらくは)今年以上に困難な来シーズンをいかに戦うのか、私はそれが今から楽しみなのである。

チャンピオンを取ると、ドライバーは変わるもの。
特に最初のチャンピオン獲得は、その座に対するプライドをもたらす。フェラーリ移籍後のシューマッハとマクラーレン移籍後のアロンソは、そのプライドがかえって過度の焦りを招いた感がある。
さて、彼ら同様にクレバーなタイプのドライバーであるハミルトンの場合は、どうだろうか。

【F1】ブラジルGP予選 「最終決戦を前に」 

いよいよ今シーズンも大詰め、最終戦ブラジルGP決勝を残すだけとなった。

予選はフェラーリの戦略がハマった感じ。おそらくマッサは軽いのだろうけど、ライコネンがハミルトンよりも前に出たことで優位性は一気に高まった。
さて、ライコネンはここでNo.2に徹するのか。インテルラゴスは典型的なインフィールドサーキットで、インフィールドではどうやっても抜けない。つまり、意図的にラップタイムを落とすことが可能なサーキットだ。No.2ドライバーが本気で「やる気」なら、マッサを逃がすことが可能だ。
ただ…ライコネンにはディフェンディングチャンピオンとしての意地があるだろう。たぶん、そこまではやらないと思う。

ハミルトンの誤算は、トゥルーリに前に行かれてしまったことか。
これで4番手はダーティなイン側スタート。5番手がコバライネンであることが唯一の救いだが、後ろ6番手にはアロンソが控えており、もし彼にも抜かれるようなことになると大ピンチに陥る。

マッサ勝利の確率は相当に高まったのではないかと思う。
となると、あとはハミルトン次第だ。…この状況を打破してこそ、ハミルトンのチャンピオンの価値があるのではないかと思う。

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