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馬鹿と煙は 

 中部国際空港から岐阜へ行ってきた。
 実は二ヶ月後にも旅行を既に計画していて、そっちの方に既に興味が移りかけており、非常に厳しい立場の旅だったのだが。


 セントレアでレンタカーを借り、とりあえず走り出す。
 知多半島道路、名古屋高速へと抜けていく中で、如何せんまだこの時点で目的地を定めていなかったものだから、なんと言うか、緊張感のあるドライブに。しかも、交通事故死者数全国No.1の愛知県は伊達ではなく、なにせあの北海道よりも多くの人が死ぬ自動車帝国は、流れが非常に速い。

 結局、目的地はプランAの犬山城とした。名古屋高速を小牧まで行き、そこから少し渋滞したものの、まあ目論見通りに着いた。
 泣き所はレンタカーのナビで、三菱製(レンタカーだといつもこれだ)は、自分の車のと違うことをさて置いても使いにくい。大小二画面に移行できない(やり方わからず)ため、何度も縮尺を変更する。知らない道の場合は特に、俯瞰と仔細の双方を使うのに。

 犬山城は、最初下から見た時、小さいなあ、と思った。
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 だけど、上に上がると印象は全然違った。
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 まさに360度、全ての方角の地の果てが見える。下界は今日も暑かったが、ここは風が通り涼しい。・・・この城を建てた武将は、戦に備えてとかそういうものよりも、これを求めていたのではないだろうか。

 それから、国宝である如庵へ向かう。これは織田有楽斎が建てた茶室である。もっとも、私は織田有楽斎を『へうげもの』でしか知らないのだが。
 現在は隣接するホテルが管理するこの国宝は、建物だけでなく庭園にも手が行き届いた素晴らしい出来だった(入場料は犬山城よりもこちらの方が高い)。
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 そして、いざ実物を見て(内部は撮影不可)、山田良裕が茶室を「小宇宙」と称した感覚に、えらく合点がいったのだった。

 ここから美濃加茂へ抜けた。
 ・・・本州のこうした片田舎を走る度に、閉塞感を抱く。まだロードサイド店舗が立ち並ぶ風景の方がずっとマシで、古い住宅と寂れた店舗が狭い道路に沿って並ぶ光景は、なんだかもうどうにもなりそうにないような感じがする。
 北海道は歴史も無いし基本的に自然の中に埋もれているだけだが、ここにはこうして何百年(あるいはそれ以上)にわたってずっと同じように人が住んでいるのである。
 私は基本的に保守的(コンサバティブの意)な人間だが、こうした原風景を持つ人間であれば、既存のものを壊すことこそが前進だと考える気持ちも少し理解できるような気がした。それこそ、ここが空襲か何かで瓦礫と化したらどのように生まれ変わるだろう、と考えてしまった。

 美濃加茂で書店に寄ったらその間に大雨が降りだした。ワイパーを最強にするくらいの雨。こういう雨は北海道ではなかなか降らないので、むしろ楽しかった。

 しかし、美濃加茂から一宮へ抜ける高速が8kmにわたり渋滞しているという。そこで裏道を抜けることにしたのだが、これが主要県道ながらも非常に狭い道。ナビが勧めないからそうかなあ、とは思っていた。数々の酷道巡りでこういう道にもういいだけ慣れている私は、そのまま突っ込むのだった。
 無理矢理美濃ICまで達したが、ほぼ真西に進んでいたため、強い雨は続いていた。高速が通行止めにならないかとヒヤヒヤしたが、結局は80km制限のまま。北上するにつれ、次第に雨は弱まり、高山に着いた頃にはすっかり上がっていた。

 高山市内の宿へ。
 車を止めて、暗くなったので観光は明日以降とし、夕食を食べる場所を探す。
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 しかし、19時くらいには半数以上の店がもう閉まっているのだった。まあ、地方ではよくある話だ。開いている店はどこもかしこも売りが飛騨牛で、たたき丼をと牛串(とビール)を食す。牛串は1本500円が妙に小さかったが、流石に美味しかった。
 帰り道、強い雨が降り出す。そうか、雨雲に追い付かれたのか。泣く泣く傘を買って古い町並み(これが正式名称らしい)を歩きながら、よく考えたら当時は電球がないことに気が付いた。



 翌朝、五時半に起きて乗鞍へ向かう。
 出発した時は曇りだった。しかし、ほおのき平でバスに乗り換え、乗鞍スカイラインをひたすら上がっていくと、下界の天気は関係なかった。雲はもう眼下にあったからだ。
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 乗鞍スカイラインの終点である畳平は標高2702m。自動車道の最高到達点である(マイカー規制があって誰でも乗り入れられるわけではないが)。
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 ここから、標高3026mの乗鞍山頂を目指す...気持ちは私には元からなく、あくまでも登るのはその手前の富士見岳2818mだった。
 私はお世辞にも体力があるとは言えない。かつて岩木山の(9合目からの)登頂を断念したり高尾山でヘロヘロになった経験を持つ私はかなり慎重になっており、曲がりなりにも3000m峰である乗鞍山頂は諦めたのだった。
 そんな私は周囲の登山者達とは明らかに異なる普段着。辛うじて運動靴と長袖は用意してきたものの、リュックではなく肩掛け鞄だった。

 富士見岳の登頂は所要時間15分。短くも充実した戦いであった。半分くらいから岩場となり、性格的に急いて登りたがる自分を戒めつつ、一歩一歩ゆっくりと登ってゆく。
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 そして、頂上に着いた。
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 遠く北アルプスの山々(注:私は名前をよく知らない)がそびえ立ち、下界は雲海の彼方。思いの外素晴らしい景色だった。これは、来た価値があった。

 その後、膝に弱点を抱える私はそおっと岩場を降りていった。まっすぐ畳平へ戻らずにコロナ観測所の入り口まで行ったが、そこから山頂まではまだまだ遠く、私はやっぱり引き返すことにしたのだった。
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 畳平の近くまで来たら帰りのバスの出発案内が流れていたので最後は半駆け足。こうして、結局畳平には1時間程度しか居ないまま、次の目的地へ。

 続いて、五箇山へ向け、車を走らせる。高速道路ではつまらないので、天生峠を越えて白川郷を経由するルートを選択した。地図から予想はしていたが、天生峠はこんな道。今日もまた、酷道を一つ踏破してしまったぜ...。
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 もっとも、この道は酷道としてはかなりマシな方。狭いし急勾配も多いし長いが、路面状態がマトモだった。落石注意の看板だけでなく本当に落石が転がっていたり、日陰の部分がコケに覆われていたりするよりはずっと走りやすい。

 白川郷は駐車場に入るまでにけっこう待たされた。国道もひどく渋滞。なんだけど駐車場に入るとまだ空きがあったりして、もっと上手くできないものかと。
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 合掌造りは確かに荘厳ではあるが、近くで見ると電力メーターが付いていたり妙に新しかったりして趣にはやや欠ける。どうにも「観光地くさい」のだ。どうせなら、ここで普通に生活してますよ的な空気が垣間見えた方が面白いと思う。
 ここは、高台の展望台から見るのが一番良かった。もっとも、また徒歩で登ることになってヒイコラ言いながら登ったのだが。下からシャトルバスが出てるが遅れるし立ち乗りだし200円だし、最初から上の無料駐車場に停めるのがベストの選択と思われる。
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 白川郷がちょっとイマイチだったのでどうしようかと思ったが、いちおう、五箇山へ向かう。集落の駐車場代をケチって、奥の村上家へ直に向かう。
 ここは中に入ることができる。外から見るよりも中は広く、三階まで行けるが、足元の床板がミシミシ音を立てるのがなんとも。
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 なにか食べようかと思ったがめぼしいところがなく、結局高山まで戻る。
 市街は人が多い。結局、飛騨牛のビーフカレー(1600円)を食べた。旨かった。
 その後、復元された高山陣屋を見る。うーん、昨日如庵を見たばかりなので、これはただの昔の建物というだけで、さほど面白くはないなあ。

 私は自然溢れる北海道で生まれ育ったせいで、自然よりも人間の造作に興味を抱く方だと思っていた。だけど今回の旅では、むしろ乗鞍の自然の方が良かった。
 というのも、いくら歴史的建造物とはいえ、どこまで過去そのものなのかわかりかねたのである。犬山城もかなり人の手が入っていて、昔の姿そのままとは考えにくい。如庵は建物の性質上綿密な手入れが必要で、そこに感嘆はすれど、綺麗すぎるかのような印象もあった。白川郷や高山ともなれば最早観光地に過ぎない。
 どうせなら、今も誰かがそうやったからこういう姿で存在している、というものが見たかった。観光地化というのは私の期待からほど遠いもので、普通の暮らしをしてくれた方がずっと良い。彼らにとっては平凡なものでも、違いは私の方が見付ける。

 高山市街の飲食店の閉店が早いのは、朝市に合わせて営業を開始するからだということに思い至った。なので市街での飲食を諦め、明日の朝食予定と入れ換え、郊外のファミレスJoyfullへ向かう。
 Joyfullのチーズハンバーグは、私のソウルフードとして三本の指に入る。授業が殆ど無くなった大学四年の時、何度ここのチーズハンバーグセットを食べたものか。
 ・・・人の郷愁とは、このように、他の人から見れば何気ないものにだって生じるのだ。



 翌朝、宿を出て朝市へ。しかしまあ、言われているほど盛況のものでもなく、むしろ向かいの土産物屋ばかりが目立つ。

 こうして、あっさりと高山を発つ。当初の予定では(流動的ながらも)最終日を白川郷・五箇山に当てる予定だったため、今日一日がほぼ空いた形になっている。
 どこへ行こうかいろいろ考えたが、歴史的なものを見に来た割に観光地化されていて不満を感じるケースが多かったことから、トヨタ博物館を目指すことにした。

 ここ、最初は、単なるトヨタのPR施設ではないかと思っていた。だけど、入場料を1000円取ることに、かえって本気を感じさせた。広告活動だけなら、誰でも多く入れるのが普通だからだ。
 二階は海外車、三階が国産車の展示となっている。つまり、ここにあるのはトヨタの車だけではない。T型フォードから始まる自動車の歴史を振り返れるようになっている。
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 しかも、中には「整備点検中」として展示されていない車があった。つまり、古いものでは20世紀初頭に生産されたこれらの車は、いずれも未だ動くのである。ここに、この施設に対するトヨタ社員の意地を感じた(なお、すぐ隣はトヨタの研究所である)。

 三階の国産車フロアも同じ。トヨタ車だけでなく、国産の他のメーカーの車の展示があり、それらの車の特色と成果が客観的に述べられている。そこにトヨタを優遇しようという意図は感じられなかった。
 むしろ、トヨタの過去の車については失敗をそのまま素直に書いており可笑しかった。
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 あと、新館の日本人の暮らしと自動車をテーマとした展示で、一番最初に何の説明もなくこれが展示してあったのは思わず声をあげて笑ってしまった。
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 題して「大八車」。

 この後、かなりさまよったが昼食にうなぎを食べて(大好物である)、とらのあなに寄って、空港へ向かう。
 北海道育ちの私が道路整備の不満を感じない都府県は、愛知県しか無いだろう。どこの道も広い。もっとも、このコンクリート舗装はあまりいただけない(バイクだと雨天時に滅茶苦茶滑る)が。
 空港までも、時間があったので下道で行ったのだが、70km制限の自動車専用道路があって、これなら有料道路要らねえじゃん・・・。



 私が旅に行く理由は、何かしらの思考の「とっかかり」が欲しいのだと思う。普段は目にしないものを見て、何を考えるのか。だから、何を見るかはそれほど重要ではないのだろう。「見たいもの」は、たぶん、特に無い。
 むしろ、こうして結果を書き留めることが私にとっての最大の醍醐味なのだろう。

 旅先では移動時間が長いこともあって、本を多く読む。この読書という作業もまた、思考のとっかかりとなるものだ。


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