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In Beijing. 

 北京へ行ってきました。


 個人的に、海外旅行の行き先第一候補は欧州・北米なのですが、欧州や北米へ行くにはどんなに少なくても3泊5日の行程が必要になります。日本の休日には3連休が多々あり、そこから+1日だけ休暇を取ることくらいならなんとか可能でも、5連休となると、やっぱり日数が足りません。
 すると第二候補は東アジア。その中で香港と韓国には既に行きましたし、その次となると中国、その中では…と消去法的に考えると北京でした。手配したのはGW頃でしたが、大韓航空だと思いの外安くチケットが取れそうで、かつ仕事もあまり忙しくなさそうだったので、思い切って行程を組んでみました。



<一日目>

 台風の上を通り抜け、仁川国際空港へ到着。
 乗り継ぎに2時間あったので、入国を試みたところ、入国審査で引っかかりました。前も同じことをやってるんですけど、残り1時間程度での入国は、まあ怪しいですよね・・・。僅かな時間で食べたチヂミです。

 仁川 チヂミ

 大韓航空はえらく安いエアラインですが、サービスに特段の不満はありません。機内エンターテインメントにはそれなりに日本の映画や音楽も入っています。ところが、そこにまさかのチャゲアスが・・・。搭乗中はずっと『万里の河』を流してました。

  万里の河

 北京空港には、日暮れ間際の20時頃に到着。
 入国手続きを済ませて、荷物を受け取り、空港内へ。国際空港というのはどこも大差がありません。もっとも、ここを作ったのは日本のODAらしいですね。

 北京空港① 北京空港②

 地下鉄の機場線に乗り換えて、市内へ向かいます。この辺から、周りにはもう中国人しか見当たりません。
 まずチケットのICカード(一卡通)をを買おうと窓口へ向かったのですが、「無いよ」と言われ、25元の1回券で市内へ向かいます。

 機場線

 東直門駅で乗り換え。今度の窓口では一卡通を買えましたが、前に並んでいた人のカードが詰まって、係員が機械の中を開けてがちゃんと直しているのが印象的でした。
 北京の地下鉄はどこもそれなりに綺麗。ただ、駅の作りに個性が乏しく、面白みがないような気もします。特に2号線は、見た限り全ての駅が同じ構造でした。

 2号線① 2号線② 8号線

 2号線から6号線に乗り換えて、南鑼鼓巷駅へ。そこからホテルへ向かいます。
 最初は間違えて一つ手前の路地を曲がってしまい、こんな薄暗い雰囲気に。まあ、正しい道もそんなに変わりがないのですが。

 南鑼鼓巷 間違えた路地

 今回のホテルは侶松園賓館(Lu Song Yuan Hotel)。元はアロー戦争の将軍であったセンゲリンチンの住居であったのだとか。

 侶松園賓館① 侶松園賓館③ 侶松園賓館②
 侶松園賓館④ 侶松園賓館⑤ 侶松園賓館⑥

 見ての通り、胡道の古い住宅(四合院)をリノベーションしてあります。建物や家具は木製の古いものなのに、エアコンがあってパイオニアのテレビが置いてある不思議な雰囲気。
 下から二つ目のグレードでしたが、特段の不満はありませんでした。お湯の出が少し悪くて(温まるまで早朝だと10分くらいかかる)シャワーを浴びると床が濡れる(こういうホテルは海外に多い)のはまあさておき、飲み物も安く買えましたし、2.5星の価格(3泊2万円ちょっと)と従業員がそれなりに親切だったことを鑑みれば十分でしょう。

 侶松園賓館・中庭・夜 侶松園賓館・中庭・昼

 四合院のシンボルたる中庭はこんな感じで雰囲気があります。ただ、私が滞在した時期の北京は夕暮れになると常に夕立ちがやってきてしまい、濡れて座れないんですけどね…。
 一日目はビールを飲んですぐに寝ました。



<二日目>

 ホテルを出て、昨日と同じ南鑼鼓巷駅まで歩きます。

 侶松園賓館・入口 胡道 南鑼鼓巷・昼

 まずは第一目標である天安門広場を目指します。
 この日は何かともたもたして出発時間が遅れてしまい、地下鉄の駅を出ると…すでにこんな感じでした。

 天安門広場① 天安門広場②

 中国(北京)の人の数は、どこもかしこもとんでもなかったです。こんなに混んでいる街を、私は(東京以外に)知りませんね。
 天安門広場に入るには荷物検査があり、まずそこで並びます。ちなみに、荷物検査は、天安門広場だけでなく、ひとつ残らず全ての地下鉄駅で実施していました。
 ここでなんと、警官から職務質問を受けます。私は日本でされたことがないので、人生初体験でしたね。互いに言葉はさっぱり通じませんでしたが、逮捕されることはなかったです。

 天安門広場③ 天安門広場④ 天安門広場⑤
 天安門広場⑥ 天安門広場⑦

 この天安門広場、こう言ってはなんですが、こんなにデモに向いたところはありませんよ。国家の象徴たる誰もが知っている場所の、数万人規模で人が入ることのできる、ひたすらにだだっ広い広場。作った時は、まさかそんなことになるとは想像していなかったんでしょうけど…。

 天安門広場の隣にある国家博物館を見たいと思っていたのですが、そこへ入るにはもう一度外にでなければいけない(つまりまた荷物検査の列に並び直し)のと、なにぶん既に凄い数の人が並んでいるようなので、早々に諦めました。
 毛主席の肖像画のかけられた門をくぐって、次の目的地である故宮へ向かいます。

 天安門① 天安門②

 故宮。ここもとんでもなく広かったですね。
 日本語オーディオガイドを借りて歩きます。あまり最新のものではなく、使い方もイマイチわからないままスタート。ガイドの内容の場所に近付けば自動で音声が流れる仕組みだと気付いたのは、かなり経ってからです。

 故宮① 故宮② 故宮③
 故宮④ 故宮⑥ 故宮⑦
 故宮⑧ 故宮⑨ 故宮⑩

 しかし中国人は白菜好きですね。

 故宮宝物殿① 故宮宝物殿② 故宮宝物殿③
 故宮宝物殿④ 故宮宝物殿⑤

 珍妃の井戸。本当にこんなに小さかったの?

 珍妃の井戸

 映画『ラスト・エンペラー』で有名な路地。

 故宮⑪ 故宮⑫

 ここで故宮を出て、すぐ裏手の景山公園へ登ります。ちょっとした山なのでハァハァ言いながら登りましたが、上からの眺めは流石でした。

 景山公園① 景山公園②
 景山公園③ 景山公園④ 景山公園⑤
 景山公園⑥ 景山公園⑦ 景山公園⑧

 しかし、ここから地下鉄の駅までが滅茶苦茶遠いんですよね。バスかタクシーに乗ろうかとも考えましたが、渋滞でちっとも動かない状態なので、結局歩きました。…こうして考えると、一日目から歩き過ぎましたね(今回の旅は疲労が半端じゃなかった)。

 行程は予定よりも早く進んだので、ここで昼食に。食事は日本語メニューがありそうなところを事前に探しておきました。 
 6号線から4号線に乗り換え、西単駅で降りて北京君太百貨店へ。この辺はデパートが立ち並んでいて、普通の先進国に見えます。

 西単① 西単② 西単③

 鶏肉のピリ辛ソースとチャーハンを注文。この食事が普通に最も美味しかったかもしれません。
 食事をしたは鼎泰豐(デンダイフォン)というお店で、台湾資本のお店。実は新宿高島屋等にも支店があります。

 鶏肉&チャーハン

 そこから、盧溝橋へ向かいます。
 盧溝橋は市内からかなり遠く、1号線から9号線と14号線を乗り継いで、大瓦窟駅へ。そこからまた距離があるので、バスかタクシーでも…と思ったのですが、駅周辺には全然何もなく、結局歩いて向かうことに。また体力を消耗します。
 本当にこれで合っているのか…と不安になるくらい、スラムのような下町を30分くらい歩いて(ここで写真を撮って観光客丸出しになる度胸はありませんでした)、ようやくそれっぽい建物が見えてきました。盧溝橋事件の舞台となった苑平城跡です。

 苑平城① 苑平城② 苑平城内

 実は私にとって盧溝橋は「おまけ」で、本命は、ここにある中国人民抗日戦争記念館。ちょうど「70周年」ということで色々と盛り上がっていた時期に行くことができました。
 入る時に身分証明書の提示を求められ、日本のパスポートを見せると…係員はちょっと困った様子。少し逡巡して上司の指示を仰ぎつつ、入れてくれましたけどね。

 中国人民抗日戦争記念館① 中国人民抗日戦争記念館②

 北京の観光地の中では、ここが断トツに新しくて綺麗で、展示も洗練されていたように思います。
 残念ながら日本語の表示やガイドはありませんが、ある程度の知識の下地があれば、何を示しているか十分に理解できるでしょう。

 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館
 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館
 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館
 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館
 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館
 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館
 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館 

 第一章~第三章は、共産党の視点から、日本の対中進出に対する抵抗運動が示されていました。国共合作のところなど、多少は共産党寄りだなあ、と思いつつ、まあこの程度は止むを得ないか(残念ながら日本にもこの程度の偏りはごく普通に存在している)、と思って見ていました。
 一気に「空気」が変わるのはこの第四章です。タイトルが「日軍暴行」。「現代文明史上最黒暗的一頁」は、中国語の知識が全くない私でもすぐにその意味が理解できます。正直言って、ここまで強い表現があるとは思ってもみませんでした。

 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館
 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館
 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館
 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館

 個人的には、この問題は「細かいこと」だけを言っても仕方がないのではないかと思います。
 確かに、南京大虐殺の「30万人」という数字は怪しい。前線の壊滅による流民と敗残兵の南京市街への流入と、日本軍の進撃後の市民や兵士の市外への逃亡という流れの中で、before・afterの人の数を数えられたとは思えません。国内政権による統治が効いていたからあれだけ統計が取れた広島・長崎の被爆者の数とは事情が違うでしょう。また、カティンの森の十倍規模の死体の山があったという話も聞いたことがないですし、そもそも、1万人を超える人の数がどれくらいのボリュームなのかをしっかりと把握できる人はそう居ないはずです。
 でも、「そこだけ」を反論すれば、当然ながら「揚げ足取り」と相手は受け取るだろうな、と。そうなったら、もうそれ以上の話に進まないと思うんです。

 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館
 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館
 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館
 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館
 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館
 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館

 A級戦犯の靖国合祀は随分と許せない模様でした。

中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館

 この辺を考えると、「良い日本人と悪い日本人がいる」という感覚は彼ら中国人の中にも在るのかな、と。日本人はこの手のグループ内の切り分けが出来ず、同朋の罪を裁くケジメが無いんですよね。
 この記念館も、「日本憎し」だけ、というわけではありません。戦時中・戦後の日本国内における反戦の動きや、河野談話や村山元首相の書などが、それなりのボリュームで掲げてあります。むしろ、日中関係の一定の「落としどころ」を模索している印象を受けました。

 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館
 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館
 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館

 まあ、最後がこういう締め方をされているのは、中国政府の政治的な意図も感じます。

 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館 中国人民抗日戦争記念館

 記念館を出て、続いて盧溝橋へ向かいます。永定河は枯れ川と聞いていましたが、今は全然そんなことありませんでした。

 盧溝橋 盧溝橋 盧溝橋

 ここから帰ろうとしたのですが…結局、タクシーもバスも何もないんですよね。苑平城跡周辺はタクシーの乗降禁止区域に指定されているようです。仕方がなく、延々と歩いて帰りました(最後の1kmくらいだけバスに乗った)。
 この施設に最も来るべきなのは、日本人だと思っています。なので、もう少し交通アクセスを何とかしてほしいです。これでは勿体ないです。

 疲れたので、ホテルへ戻り休息を取った後、夕食を食べに行きます。この晩だけ北京ダックの店を予約しておきました。
 ただ、ここでの一人飯は(私でも)正直キツかったですね。予約して行ったのですが、ちょっといい店を選びすぎた。

 大董烤鴨店 大董烤鴨店 大董烤鴨店
 大董烤鴨店 大董烤鴨店

 日本語メニューがあると聞いていたのに今はもう無く、しかも北京ダックは1匹でしか頼めなかったので、やむなくそれを頼みます。あとは(あんまり高くなかった)茄子の炒め物。目の前で私の北京ダック(1匹)が切り刻まれていきます。
 元々、肉は食べずに皮だけを食すという贅沢な料理ですが、なにぶん食べるのが私一人なので、目の前には山のような切り身が。甜麺醤につけて野菜と共に薄皮を巻き、ひたすらに食べる。贅沢にも、飽きるくらい食べました。
 サービス(?)でフルーツのデザート(何の果物かはさっぱり判別できなかった)とライチが来ました。正直お腹いっぱいでしたが、暑い中では結局これがとても美味しかった。流石は楊貴妃が長安まで運ばせただけのことはある。

 この時点で疲労がかなり残っていたので、まだ早めでしたがホテルへ戻り、休息することにしました。地下鉄のホームから地上まで、地上からホテルまでがそれなりに距離があるので、これも体力消耗の要因なんですよね。



<三日目>

 この日は早起きし、6時前のまだ薄暗いうちにホテルを出ます。6号線から2号線に乗り換え、積水潭駅へ。そこから東に少し歩いて、徳勝門のバス停へ。ここから出る「877路」のバスで、万里の長城へ向かいます。
 この時間でもそれなりに人が並んでいましたが、早かったために1本待ちで乗れました。

 徳勝門北側バス停 万里の長城行き877路バス

 1時間ちょっと乗って片道12元。私の乗ったバスは、車掌のおばさんが気を利かせて、乗る際にいちいちお金を受け取るのではなくまず全員乗せて走り始めてから運賃を徴収。ただ、その際に一卡通を使う人はカードを一回預けて「あなた○番ね」と言い残すスタイルで、つまり私は中国語がわからないわけです。筆談で何とかしましたが、海外はこういうイレギュラーな動きへの対処が大変です。
 しばらく高速道路を走った後、次第に道は山がちに。このバスはお世辞にも性能がいいバスではなく、上り坂ではかなりスピードが落ちます。

 途中 途中

 八達嶺長城に到着。この日は朝から雨でした。視界はあまり良くありません。折りたたみ傘は持ってきましたが、途中からは面倒くさくなってささずに歩きました。
 しかしまあ…ここも朝からとんでもない数の人でしたね。路線バスは始発に近かったはずなのに、山のような貸し切りバスが既に着いていました。確かにここ八達嶺長城は最も人が多い長城で、もっと人の少ないところへ行こうかと考えたこともあったのですが、なにぶん一人で行くにはここが最も手頃だったもので…。
 バス降り場に最も近いチケット窓口が、スライダー(途中まで上り下りするやつ)込みのチケットしか売っていなかったりして非常にわかりにくい。日本語のガイド本にもこの辺のフォローが少なくてなあ…。

 八達嶺長城 八達嶺長城 八達嶺長城
 八達嶺長城八達嶺長城 八達嶺長城
 八達嶺長城 八達嶺長城 八達嶺長城 

 周りは深い森で、山は急峻で谷は深く、本当にこんなところを匈奴は攻めてきたのかと驚くばかりです。
 しかしまあ、長城の上はこの人混み(これでもまだ8時くらいです)。流石に、風情とかそういうのはあまりありませんでした。
 体力のない私は上まで登るつもりは毛頭なく、早々に五号楼で折り返し、9時半くらいには下山してきました。とはいえ、こちらを出るバスが10時30分までありません。観光客を乗せたバスは次々とやってくるのに、空のまま引き返していきます。
 その間、ただただぼけっと待っていました。土産物屋や食べ物屋は多いのですが、流石にここの料理を食べるリスクを犯す気は起こらず…。

 八達嶺長城 八達嶺長城

 しばらく待っていると、それでも定時の15分くらい前にバスを出してくれました。それに乗り込んで、北京へ戻ります。
 北京市内へ残り5kmのあたりで、高速道路が徐々に渋滞し始めます。行きよりは時間がかかって、12時前に再び徳勝門へ到着。

 ここから、まずは昼食へ。
 昨日行った西単駅の北京君太百貨店は日本語メニューがあるレストランが他にもあったので、横着して再びそちらへ行きました。中華麺と蒸餃子です。

 麺 餃子

 そこからどうしようか少し悩みましたが、1号線でダイレクトに行ける軍事博物館へ向かいました。
 しかし、そこでもまた行列。中国の人はおそらく、「待つ」とか「歩く」ことに対して非常に耐性が強いんですよね。ただ、この蒸し暑い中で同じことをやる体力は無かったよ…。

 そこで目的地を変えて、頤和園へ向かいました。9号線から4号線へ乗り換え、北へ向かいます。
 北宮門駅から出て、少し歩きます。どうせならもっと近くに駅を作ればいいのに…。

 頤和園 頤和園

 ここも確かに混んではいましたが、それほど並んではいませんでした。
 ただ、楼閣へ上がるのにまた登ります。流石に眺めは良いです。

 頤和園 頤和園 頤和園
 頤和園 頤和園 頤和園

 大汗をかきながら湖畔を歩きます。

 頤和園 頤和園 頤和園

 宝物殿である文昌院へ。

 頤和園 頤和園 頤和園

 頤和園 頤和園 頤和園

 ここも、やっぱり人が多いですね。
 帰りは東宮門から出ましたが、駅まではやはり遠い。疲労と暑さでヘトヘトになりながら、地下鉄を乗り継いで、何とかホテルまで戻ってきました。

 一休みし、少し体力が回復したところで、夕食へ。
 事前に目星を付けていた灯市口駅近くのお店…が見付からず、結局そのまま王府井の歩行者天国を歩きます。
 ここは北京でも古い方の繁華街ということで、ややレトロな雰囲気。

 王府井 王府井 王府井

 南端の新世界百貨店に入って、食事どころを探します。流石に、元気寿司や一風堂に入るつもりはありませんでした。

 元気寿司

 いろいろと歩くと…さっき探していた店の別店舗があっさりと見付かりました。そこへ入ります。

 まず青島ビールを注文すると、店員に何か尋ねられる。そのお姉さんでは英語で説明しきれなくて、もう一人の男性を呼んでくると「Cold or hot?」と。ビールにhotってあるの?
 最初頼んだ料理が「sold out」で、結局、豚肉の煮物とチャーハンを頼みました。

 豚肉 チャーハン

 ただ、これが今一つ。豚肉は普通の角煮でした。チャーハンは通常のやつの倍の値段がする特別チャーハンがあったのでそれを頼んだのですが、うむむ…。もっとも、ここは上海料理のお店だったので、頼んだものが良くなかったかもしれません。

 外へ出ると辺りは暗くなっていました。

 夜の長安街

 疲れた脚を引きずって、再度ホテルへ戻ります。



<四日目>

 飛行機は13時過ぎでしたので、この日も一箇所くらいどこかへ行く余裕がありました。そこで、8時くらいにホテルを出て、天壇公園へ向かいます。

 天壇公園 天壇公園 天壇公園

 皇帝が神聖な儀式を行った場所…らしいですが、園内は「いかにも」な中国人の朝の風景。バドミントンをしてたり、太極拳をしてたり、老人4人でトランプをしてたり。あまりにステロタイプで目を疑ったくらいです。
 そんな感じで、またもやあまり雰囲気のないこの天壇公園ですが、ここもやたら広い。しかも南端まで行ってしまったので、縦断することになりました。

 天壇公園 天壇公園 天壇公園
 天壇公園 天壇公園 天壇公園
 天壇公園 天壇公園

 ちなみにここを英訳すると、天壇=Temple Of Heaven、地壇=Temple Of The Earthで、なんだか全く別物のように見えるんですけど…。

 ここからホテルへ戻り、これで北京の全行程は終わりです。
 ホテルをチェックアウトして、空港へ向かいます。

 機場線で第2ターミナルへ到着。普通はロビーに各航空会社の受付カウンターが並んでいるものだと思いますが、この空港はまず荷物持参で検査を受けた先にカウンターがあるんですね。

 北京空港 北京空港 北京空港

 航空会社のカウンターで手続きを済ませてから出国手続き…なんですが、これがまたえらく遅い。結局1時間近くかかったと思います。余裕があったつもりが、そうでもなくなってしまいました。

 ここ北京空港の第2ターミナルは、それほど大きくはありません。免税品売り場も小振り。結局、買い物もせずに済ませます。
 搭乗時間が来て飛行機に搭乗し、さあ帰ろう…と思ったら、滑走路上で飛行機が立ち止まる。しばらく止まった後、「technical trouble」とのことで、Uターンして一度駐機場へ引き返していきます。その後また動き出しても渋滞…で、結局、2時間以上出発が遅れます。

 私はこの後、仁川で乗り換えの予定だったのですが、実際のところ「乗り換え出来なかったらそれはそれでいいや」くらいの軽めの気持ちでした。それでも、飛行機は予定2時間のフライトを1時間ちょっとでぶっ飛ばし、乗り継ぎ便出発の30分前くらいにランディング。「ああこれで間に合うか」と少し残念な気分(?)でしたが、その後駐機場に入るのに時間がかかり、本当にギリギリに。
 飛行機を降りると、プラカードを持った係員が待っていて、カートに案内され、乗り継ぎゲートへ直行。カートは案外速く、客を押しのけながら進むものだから乗っていて笑いが止まらなかったです。素早く荷物検査をして、トータル10分程度で次の飛行機へ乗り継ぎます。荷物は到底間に合わず、後日自宅まで送ってもらうことに。最後の最後に「中国らしい」体験をしましたね…。



<まとめ>

 中国ではインターネット接続に制約があります。Google、Twitter、Facebook、Instagram、FC2、いずれもホテルからはそのままでは接続できませんでした。
 それでは何の意味も無いので…日本でVPN接続の手配をしていきました。これを使えばどこへでも接続可能。
 なお、一日分だけドコモのスマホ経由で接続しましたが、その時は何もしなくてもTwitterに接続できた瞬間がありましたね。詳細は今一つよくわかりません。

 北京はどこもかしこも凄い人の数でした。
 乗り込んだ地下鉄で座れる可能性はかなり低く、荷物検査が多いこともあってどこも行列です。噂通り、中国人はすぐに列に割り込んできますが、これは「列に割り込んでもよい」ということだと考えたらすぐに慣れました。地下鉄で降りる人を待ったりはしないので、こちらも待たずに乗り込んでいけばよいのです。
 人混みは彼らにとって慣れっこなのか、少々体がぶつかったくらいでは顔色一つ変えません。前の人の踵を踏んでしまったことが何回かありましたが、怒る素振りも見えませんでしたね。
 歩くのが遅いのは閉口しました。集団行動が多い中、横に並んでちんたらと歩きます。エスカレーターは左側を空けることになっていますが、実質的にはほとんど機能していません。
 一方、旅行中に地下鉄で若者が自然とお年寄りや子供連れに座席を譲っているのも、合計で3度見かけました。

 北京の地下鉄は、それ自体はまあ普通。東京の地下鉄の方がボロいところも沢山あると思います。エスカレーター設置率は東京の方が遥かに低い。
 車内の冷房がガンガンに効いていて、ドアが閉まるとすぐに涼しくなるんですけど、その分車外への排熱が大きく、ホームは地下とは思えない暑さでした。
 あと、あまり乗り継ぎを考慮していない作りですね。どこの駅でも、一つの駅内で路線から路線へ乗り換えるのにえらく歩きます。基本的にホームの両端にしか出入り口がないのも辛い。

 観光する際もえらく歩きました。中国人は基本的に日本人よりもずっとずっと健脚なんだと思います。
 広大な天安門広場に故宮、景山公園の小山、最寄り駅からの交通機関が見付からなかった盧溝橋、万里の長城の急坂、これまた広大な頤和園に天壇公園と、思い返せば、ひたすら歩いてばかりだったように思えます。
 先述のように地下鉄がなかなか座れず、休憩にならなかったのもキツかったです。

 天気は、7月の台風明けでひたすらに蒸し暑かったです。その先週より気温が10℃下がったらしいのですが、全身汗まみれでした。基本的に曇り空で、日暮れ時には夕立。
 そのせいか、空気の汚れはあまり感じませんでした。

 中国へ行ってわかった驚きの一つは、街で多く走っているバイク(スクーター)の全てが電動であったことです。エンジン音がせず、すーっと近付いてくる。もっとも、すぐクラクションなり叫び声が響き渡るんですけどね。大気汚染防止策でもあるのでしょう。皆さんノーヘルで乗ってて涼しそうでした。

 ノーヘル

 天安門広場で人生初の職務質問を受けたり、全ての地下鉄駅で手荷物検査を行っていたりと、中国当局はかなり治安に気を遣っているように見えました。あれだけ自己を押し通す国民があの数だけ居れば、警戒するのもある意味当然かもしれません。

 若干、中国政府に対する印象は変わりました。
 私には、もっと中国政府は自分たちの要求に対し自覚的であるような印象がありましたが、今回の旅行の短い期間を通して、彼らはもっと本気で自分達の主張が「正しい」と考えているように感じました。少なくとも、日本人が本気で「自分達の国は悪くない」と考えているのと同じように。
 下記は頤和園の東宮門にあったスローガン。
 
 スローガン

 日本人と中国人は想像以上に「似ている」と感じました。
 相手に対して我を押すのが中国人ですが、日本人は我を押さない代わりに我を「押されない」ことを暗黙的に強く主張しているだけであって、互いに根本たる「自分の領域に対するこだわり」が強い点は何も変わらない。だから、互いに互いを認めることはなかなか難しいのかも。

 今の1元=20円くらいとなれば、物価はもう日本と大きく変わった印象がないですね。中国人観光客が急増するはずです。
 食事は、あんなものかなあ。中国で庶民の食堂に入る勇気はなかったので、お腹を壊すことがなさそうなもの(それなりにちゃんとしたレストランで)しか食べませんでした。飲み物もペットボトルばかり。風情はあまり無かったですね。

 観光地は、正直、あまり洗練されてはいなかった印象。やはり基本は「中国人向け」なんでしょうね。
 中国人は「雰囲気」をあまり気にしないようです。特に古いものについて、その「雰囲気」まで昔のまま残すという感覚があまり無いように思えました。泊まったホテル(ここは決して悪くはなかった)の新旧折衷に象徴されるのかもしれません。
 一番良かったのは…景山公園ですかね。これくらい遠目から眺める方が良いかも。ただ、登るのは疲れました。
 
 続いて、来月に香港へ行く予定なので、どれくらい「違う」と感じるのかが楽しみです。


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