禁止派と容認派との対立について 

 とある事象に対し、「禁止派」(あるいは「規制派」)と「容認派」との間で激しく意見が対立することがある。例を挙げると、喫煙の禁止や捕鯨の是非、性表現の販売規制などが考えられる。

 古くから在る構造ではあるが、今更ながら、こういった二極対立について。


 「禁止派」と「容認派」との議論はなかなか解決に至らない。互いの共通点と相違点について分かり合うどころか、かえって心情的な面を含めた対立を深めることがまま在る。なんだか議論が噛み合っていないのだ。
 その原因がどこにあるのだろう、という点についてなんとなくイメージできた内容を書き留めておきたい。

 議論は本来、「論点」があり、それに対する「意見」がある。「論点」とは問いであり、議論の出発点から「どちらへ向かうか」を検討する命題を差す。一方で、「意見」とはその個人が「論点」に対して至った結果。結果に至るまでの「理由」がその前提として存在する。
 よくあるのが、禁止派が禁止のための「理由」を挙げ、容認派がその理由に対して反論する、といった図式だ。しかし、この類の議論が噛み合うことは少ない。

 その原因は、この問題の賛否に対する価値観の分散の仕方にあるのではないかと思う。
 例えば喫煙に関して、喫煙にメリットがあるのは喫煙者のみである。一方、非喫煙者には喫煙のメリットがない(たばこ税収と言っても実感はなかろう)。そのため、非喫煙者は立場的に「禁止派」に回る。彼らは喫煙しないのだから、喫煙を容認する理由が全く見当たらない。彼らの内部で結論は明確である。
 一方の喫煙者は、今や健康上のリスクを承知していないわけもなく、高い税金を払いながらそれでもなお喫煙するのである。もちろん禁煙という選択肢を持ちながら、喫煙のメリットの方が大きいと判断している。マイナス面も承知した上で結論を下している。
 つまり、個人的な意見だけをまず考えると、「規制派」の人にとって喫煙はマイナスでしかなく、禁煙が達成されて初めてゼロになる。一方、「容認派」の人にとっては、喫煙にはマイナスの要素とプラスの要素があり、それを総合してプラスの方が大きいと判断している。両者の構造は微妙に違う。
 
 「規制派」はよく一人の人が多くの理由を挙げる。健康上の理由(それも、自分に降りかかる副流煙と、マクロの国民負担の話にまた分かれる)、吸い殻のポイ捨て、火事の危険、喫煙所のコストの無駄、匂いがキツイ、など。でも、その人が例えば街のゴミの内容を分析してその結果として吸い殻の根絶に思い至ったのかというと、おそらくそうではない。それは、「規制派」という立場から、結論が同じ理由を動員してきただけである(ことが大半)。
 たぶん多くの人にとって最大の問題は匂いなのだが(推測です)、それが個人的志向の側面が強く正面から主張されにくいこともあり、健康上の理由というもっともらしい理由が多用される。でもその割に、その人が他の分野においても健康志向であるかというと、必ずしもそうでもなかったりするのである。繰り返すが、これは理由を後付けで用意しているからだ。

 これに対し、今や少数派となった「容認派」は、規制派が挙げた一つ一つの理由に対する反論を述べていく。しかし、これが彼らの心に響くことはあまりない。
 それは、結局それが後付けの理由だからだ。容認派は規制派の人の抱くマイナス面を打ち消すことができればトータルでプラスが残ると考えているのだが、そもそも規制派にとって喫煙はどうやってもマイナスでしかなく、味方をする必要はないのである。
 また、総動員してきた理由の一つや二つが論破されたところで規制派の結論はまず覆らない。容認派が喫煙を禁じる理由の一つ一つを「論点」としているのに対し、禁止派は「喫煙の是非」という大きな括りの問題に「禁止」という結論を下しているからである。論点の段階が違うのだと思う。

 こういう、どちらかの派が一方的にマイナスを持つ構造の場合(例えば捕鯨問題における非捕鯨国、エロ創作物規制問題に対する女性など)、議論は噛み合わない(ことが多いと思う)。
 それは、上記の構造上の問題に加え、その問題の中に自分にとっての何らのプラスがない人達は、ただただディベートとして相手を論破すれば自分の利になる立場にあるからだ。
 もう一方の、その問題の中にプラスとマイナスを併せ持つ人達は、損得の比較衡量を行う立場にあるのだが、相手がそれに乗ってこないのである。また、比較衡量をする際は、同じ喫煙者の中でも妥協点に対する重み付けの差を生む。彼らは一枚岩になれない。
 
 いずれにせよ、いつか決着は付く。喫煙問題で言えば、既に喫煙者の割合が大きく低下した以上、「多数決」の結果で喫煙者はもう勝てない。だがそれは、議論の結果として妥協点が見い出されたものではない。日本全体でかつてのような悪臭が失われた結果、以前は悪臭よりはマシだった「タバコ臭さ」に、現代人は価値を見い出さない(ことが多い)というだけの話だと思う。

 なのでまあ、こういう構造になってしまったら、時が過ぎて個人的嗜好のマス的なパワーバランスが取れるまで待つのも一つの手だと思う。
 しかし、議論で決着を付けるのはなかなか難しい。ただスタックするだけではないかと思う。解決策は、想像が付かない。


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