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「教育無償化」とは何か 

 教育条文案、「無償化」見送り=国に努力義務-自民改憲本部(時事通信)


 「自由」と「平等」のどちらが大事であるかというと、後者だと思う。ルイ14世一人だけが自由であったところで意味がない。

 教育を無償化しようがしまいが、そこにコストがかかることは間違いない。誰かがそのコストを恵んでくれるわけではないので、問題は、国民の誰がそのコストを負担すべきかという問題に他ならない。
 そこで「平等」を貫くには考え方が二つある。一つは、「コストを子供の数で割る」もの。もう一つは、「コストを総人口で割る」というもの。

 教育無償化とは、そのコストを税金(国民がプールした費用)で賄うのだから、上記の後者「コストを総人口で割る」考え方に立つ。逆に、有償の場合は、子供を持たない人は学費等のコストを負担しないのだから、前者「コストを子供の数で割る」という考え方、もしくは後者との折衷案(一部のコストを税金で賄う場合)に立つ。

 だから、これは単純に無償が良くて有償がダメという議論ではない。これは、そもそも子供のための金銭負担を負うのは誰かという問題、もっと言うなら、子供は誰のためのものか、という問題である。

 子供は将来の労働力であり、消費者にもなる。いずれ、国家経済に必ずや貢献する。だから、基本的に国家はそれを優遇する(かつての中国のような人口爆発の弊害がない限り)。その観点から、国家全体でコストを負うべきという考え方もある。その場合に重視されるのは、子供の個性の尊重や親の援護とかいった個人的な要素ではなく、社会的・国家的な利点という理屈になる。

 一方、もし皆が全員揃って2人ずつ子供を持てば、無償であろうが有償であろうが完全平等が実現する。逆に言うと、完全平等が成り立たないのは、子供の数が異なっているからである。
 ここで考えなければならない(考えて欲しい)と思うのは、今の世の中は価値観が多様化しており、自分の意思で子供を持たない人が存在する点だ。上記の「コストを総人口で割る」考え方は、子供を持たない人にも子供を持つのと同様のコストを強いることになる。

 そうであれば、子供の教育が「親にとって価値のあるもの」である限り、少なくともその応分に関して、受益者である親が負担すべき、という結論が導かれるのではないか。
 子供の教育による便益が親とその他の人で完全に均等に配分される(子供は親を一切特別扱いしない)のであればそのコストは他人も均等に負担すべきだろうが、実際には、老後も含めて子供は少なからず親個人に貢献する。そうであれば、それに見合うコストは他人よりも親の方が多く負担する必要があるのではないか。



 加えて、もう一つ、完全に子供の立場から考えてみる、という考え方もあると思う。

 今回の自民党の改憲案では、教育の機会均等について「経済的理由によつて教育上差別されない」とある。これは子供の立場からの記載に読める。保障しているのは、「親が子供に教育を受けさせる権利」ではなく、「子供が教育を受ける権利」なのだ。

 つまり、これは親に負担を求めたとしても成立する。国が税金でもって子供に教育の機会を与え、そのコストを親から強制的に徴収すれば済む話だからだ。「求償」の考え方に近く、未収リスク・回収コストが国家に帰すだけだ。
 この場合、子供は親の話を一切聞く必要がなく、自分で進学先を選べばよいことになる。未成年にその考え方を認めるかは大きな論点だが、面白い考え方だとは思う。結果的に、子供は親からの経済的自由が得られるからだ。


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